常設展示
1968 年、横浜、深夜の路上。21 歳の原口典之は大型のトレーラーが軍用機を積載してゆっく りと搬送している情景に出会う。あまりにも巨大であるため、軍用戦闘機は尾翼の部分しか見え ない。直ちに原口はタクシーに飛び乗って、トレーラーを追跡した。 このエピソードからはいくつものテーマを取り出すことができる。通常では目にすることのな い戦闘機のスケールや構造、市街地に戦闘機が出現する非現実感、時代を考慮するならばベトナ ムや基地問題に思いを向けることも可能であろう。このうち圧倒的なスケールに惹かれた原口は 直ちに戦闘機の尾翼部分の合板によるモック・アップの制作に着手する。かくしてこのエピソー ドは初期の代表作《A4-E Skyhawk》着想の瞬間として語られることになる。しかし私は別の物 語を読み取る。深夜の横浜の路上で原口を魅惑したのは巨大な重量が移動しているという状況そ のものではなかったか。
1967 年に最初の個展を開いた原口はもの派と呼ばれる作家たちの一員として、しかしどちら かといえば傍流として活動を開始した。原口の作品は決してわかりやすいものではない。李禹煥 のように素材の関係性に関心がある訳でも、高松次郎のように物体に対する観念的な操作がある 訳でもない。鉄や水、廃油やウレタン、元素的な素材が多用されるとはいえ多くはまことに無表 情であり、無造作に提示されるうえに一貫性がない。試みに原口が初期に用いたモティーフを列 挙してみよう、エアパイプ、倉庫や貨車、戦闘機、プール。これらに共通する特性とは何か。いず れも何かによって満たされることを待つ空の容器である点だ。(張りぼての戦闘機も本来は各種 機器によって内部が満たされるべき機体が空虚のまま提示されていると考えられよう)そこでは 空虚と充満が対比され、二つの位相を決定的に分かつのは重量である。 原口の代表作といえば《オイル ・ プール》に指を屈するが、鉄製の枠に廃油を流し込む作業もま た重量の移動とみなすことができる。1977 年、カッセルにおける「ドクメンタ 6」で広く世界に 知られることとなったこの作品はプールの中に満々と廃油が湛えられて完成する。それはプール が重量を獲得することであり、ドラム缶に詰められてかたちをもたない廃油がリジッドな直方体 へと成形されることである。このような移行はきわめて静的な過程であり、私たちはそこに重量 が関与することをほとんど意識しない。不可視の重量という主題はワイヤロープをぎりぎりと 張った一連の作品においては不可視の張力へと変奏される一方で、1975 年以降、画廊の空間を 用いて何度か実施されたイベント「鉄の移動」において、長さ 2 メートル足らずの細長い鉄板を作 家が自らの身体を用いて室内で移動させる行為によって明確に視覚化された。しかしこれはむし ろ例外であり、多くの原口の作品において重量は圧倒的な存在感とともに沈黙のうちに現前す る。この点で私は原口の作品からミニマル・アートよりもアースワーク、なかんずくマイケル・ ハイザーの作品を連想する。砂漠に穿たれた大きな穴の中に転がされた巨岩。そこにいたる重量 の移動、それに費やされた時間と労働を考えてみるがよい。提示されるのは変哲もない情景であ るが、そこには巨大な重量と負荷が暗示されている。 原口がプールを廃油で満たすのはプールそのものに物体としての存在感を与えるためである。 表面張力のない廃油は完全な水平面として実現され、鏡のごとき表面に周囲の風景を映し込む。 廃油は鋼鉄の枠と一体化して物質から物体へと昇華される。あたかも地上に置かれたタブレット (石板)のごとき水平の重量。この時、《オイル ・ プール》に対置されるべき作品も明らかである。 すなわち 1990 年に発表された垂直に聳える巨大な H 鋼、直立する重量としての《FCS》である。 ともに直線的な形状の鋼鉄によって組み立てられた垂直と水平、明らかにここにも二つの位置、 重量の転位というモティーフを見出すことができよう。今回、《オイル ・ プール》と《FCS》が同じ 会場で見(まみ)えることになったのは偶然であるが、原口の作意を考えるならば、二つの作品、 二つの重量は時を隔てて、ここ、「アート格納庫 M」において邂逅すべくして邂逅したといえよう。
(おさき・しんいちろう 鳥取県立美術館整備局美術振興監・館長)
原口典之 あるいは転位する重量
尾﨑信一郎
原口典之 Noriyuki HARAGUCHI (1949-2020)について
神奈川県生まれ。日本大学芸術学部美術科油画専攻在籍中の1966年より作家活動を開始。1977年、約5年に一度ドイツの都市カッセルで開催される国際美術展「ドクメンタ」に招かれる。同展で鉄製の長方形の容れ物に廃油が満たされた《Oil Pool》を発表、代表作として知られる。格納庫Mに展示される《Oil and Water》(2003)は廃油で満たされたプールと水で満たされたプールが対になっており、油と水の物質としての差異が際立つ。《Untitled FCS》(1990)は巨大なH鋼を用いたもので2020年、鳥取県立博物館にて約30年ぶりに公開され反響を呼んだ。原口は2000年代に入り、倉吉に制作拠点を移して制作していた時期がある。
常設展示として以下の作品を展示しています。
原口典之
《Oil and Water》(2003)
《Untitled FCS》(1990)