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企画展示

第七回企画展
世界各地で発表を続ける石彫作家
郡田政之展
KOORIDA Masayuki Sculpture

​会期:

2025年7月5日土曜日

2025年10月5日日曜日

協力:

 郡田政之の彫刻を庭園的と定義することから始めてみよう、1960年に京都で生まれ、武蔵野美術大学を卒業後、ヨーロッパと中国を主たる活動の場として制作活動を続けてきた郡田は必ずしも国内で知名度のある作家ではない。私も今回の個展を契機に初めて作家と作品について知った。国内で何度かの個展を開いているとはいえ、今回のアート格納庫Mでの個展は近作を一堂に見ることが出来る得難い機会といえよう。
 彫刻と庭園という関係から直ちに連想される作家はいうまでもなくイサムノグチである。実際に郡田は《ノグチへのオマージュ》という、文字通りノグチへの敬意を表した作品さえ発表している。2017年に制作され、花崗岩を素材としたこの作品はノグチの大型プロジェクトと同様に水平方向に広がり、その中央に郡田のアイコンとも呼ぶべき五芒星に似たゆるやかな突起が浮かびあがっている。
 彫刻の一つの起源がモニュメントであることはよく知られている。モニュメントとは場の記憶であり、一つの場所と結びついている。巨大なモニュメントである自由の女神は移民局が所在したエリス島に隣接する土地に建設され、移民の国としてのアメリカを記念している。一方でニューヨークの巨大な庭園、セントラルパークは具体的な事件や人物を顕彰することがない。庭園的な彫刻とは、場と関わりながらモニュメントの原理から解放された作品の在り方を暗示しているとはいえないか。郡田の作品を庭園的とみなす理由は、第一に彼の作品の多くが地面や床にじかに置かれ、水平方向の広がりを有していることだ。実際にそれらは風景の中になんの違和感もなく配置され、時に作品の表面に周囲を映し込むことによって風景に溶け込む。第二にそれらは庭という言葉が暗示する一種の親密さを帯びており、サイズにおいても多くヒューマンスケールとして実現されている。時に直立する作品であっても郡田の彫刻は私たちの前に立ちはだかることなく、私たちを抱擁するかのような温かみを備えている。かかる印象はヘンリー・ムーアやジャン・アルプのように直接に人体を連想させることはないにせよ、丸みを帯びたバイオモルフィックな形態の擬人性が関わっているだろうし、石という自然に由来する素材に私たちが日常的に親しんでいることとも関係しているだろう。
 郡田の石彫はしばしば内部に窪みを宿している。庭園との関係でこの窪みから連想されるのは蹲(つくばい)ではなかろうか。日本庭園に特有のこの設えにイサムノグチ、そして辻晉堂といった彫刻家たちが注目していたことも想起しておこう。蹲への参照を介して、私たちは郡田の彫刻から植木や苔といった植物に思いを向けることもできよう。ドローイングからも理解されるとおり、郡田の彫刻は一つの単位を繰り返して構成されている。それは先に《ノグチへのオマージュ》で見たとおり、五芒星の突端が円形にふくらんだ、ジグソーパズルのピースのごとき、人の形を連想させる形態である。この形態は時にヴァリエーションを示しつつ、いくたびか増殖しながら彫刻の基本的な形状をかたちづくる。ここで私が対照したいのはミニマリズムの彫刻である。ドナルド・ジャッドやカール・アンドレに見られる通り、ミニマル・アートにおいても一つのユニットが反復されて全体をかたちづくる。しかしながらそれらの単位は厳密な規則とともに反復され、多く偶数回反復されることによって作品に中心を作らない。これに対して郡田の増殖はユニット同士の融通無碍の結合によって規則性なく成立し、多くの場合、作品は強い対称性と明確な中心をもっている。このような形態のモデルとして私が連想するのは例えば花弁や複葉、果実といった植物の構造であり、ここにもまた庭園との親和性がある。ミニマル・アートの原理が反復であるとすれば、郡田の彫刻の原理は連鎖であり、前者が無機的であるのに対して、後者は有機的である。
 さて、郡田の作品がアート格納庫Mで展示されるという端的な事実を受けて私は今一つ踏み込んでその彫刻について思いをめぐらしたいと考える。この会場に常設され、郡田の彫刻が対峙する原口典之の作品との比較である。原口の代表作の強烈な存在感に拮抗するためには相当に強度を帯びた作品が必要とされ、ひるがえってこの点こそがこれまでこの空間に展示される作品の高いクオリティーを担保していた。郡田の作品も原口の作品と対照することによってその本領が明確になるとはいえないか。ここに常設された原口の二つの作品、オイルプールと《FCS》はそれぞれ水平性と垂直性を強調しながらも物質としての禍々しいまでの迫力を帯びている。鉄や廃油によってかたちづくられたそれぞれの作品はいずれも、自然から遠く、かつ人間の介入を許さない印象がある。原口は自分の作品を「ただそこにあることの緊張をあらわにすること」であると言明しており、アート格納庫Mに展示された二点の作品はいずれも人工物であるがゆえの強い緊張感をはらんでいる。これに対して軸性やむき出しの素材感を原口と共有しながらも郡田の作品にこのような緊張感は希薄である。そこには重量感や圧迫感は感じられず、私たちは思わず手を伸ばして郡田の作品に触れ、その質感や温もりに接したい思いがする。再び庭園のアナロジーを導入しよう。それは私たちが庭園の中をめぐりながら接する自然と人工のあわいにある存在を連想させる。先に挙げた蹲や噴水、灯篭や飛び石、必ずしも日本的であることを意味しないこれらの設えは彫刻と結びつき、自然を馴致させる手法であった。常に一種の安らぎをともなって感受される郡田の立体は彫刻と自然という古くからのテーマをめぐる興味深い応答であり、その独自性は徹底的な人工性によって特徴づけられる原口の傍らに置かれる時、ひときわ明確に示されるはずだ。
(おさき・しんいちろう 鳥取県立美術館館長)

郡田政之の彫刻 尾﨑信一郎

郡田政之(KOORIDA Masayuki)

1960年京都生まれ。1983年武蔵野美術大学卒業。国内活動を経て、1999年よりオランダ、2002年からは台湾に滞在。2005年に上海へ拠点を移し制作活動している。石材を主材とした大型彫刻をはじめ、ステンレスやアクリル、ドローイングなど、卵、球体、花など自然の原形をモチーフにした作品を発表。世界各国の彫刻公園での展覧会、ビエンナーレに参加する傍らアートシンポジウムの企画運営、彫刻公園の企画、監修に携わる。主な参加展覧会に Grounds For Sculpture(アメリカ, 2018)、Frederik Meijer Gardens & Sculpture Park(アメリカ, 2018)、上海環球金融中心(中国, 2022)、桂林国際彫刻シンポジウム(中国, 2000,2004)、Scultura Internazionale ad Agliè(イタリア,2006)、Blickachsen彫刻ビエンナーレ(ドイツ, 2009,2011, 2013)、Sculture Internazionale a Racconigi(イタリア, 2010)、Skulpturenesommer im Kloster Eberbach(ドイツ, 2010)、ヨークシャー彫刻公園(イギリス, 2010)、釜山ビエンナーレ2014(韓国, 2014)、 Jakobshallen (ドイツ, 2016)、上海科学技術館(中国,2017)など。2021年には、上海天文館モニュメント制作。

アート格納庫Mでは、第七回企画展として、当館常設展示の石彫作家・郡田政之の展覧会を開催いたします。郡田は、石材を主材とした大型彫刻をはじめ、ステンレスやアクリル、ドローイングなど、卵、球体、花など自然の原形をモチーフにした作品を発表してきました。現在は上海を拠点に、世界各地の彫刻公園での展覧会や芸術祭に参加するほか、アートシンポジウムの企画運営、彫刻公園の企画、監修に携わっています。本展では、有機的なフォルムと研磨された滑らかな表面が特徴の石彫作品と、彫刻のモチーフである花の形状を用いた幾何学的なドローイング作品を展示します。常設展示作品とあわせて、郡田政之の造形世界をご覧ください。

【 オープニングトーク】
郡田政之×尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)
2025.7.5(土)16時-
※予約は必要ありませんが入館料が必要です。

過去の企画展

郡田政之×尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)
2025.7.5(土)16時~ 
※予約は必要ありませんが入館料が必要です。

オープニングトーク

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