企画展示
第6回企画展 伊藤学美展覧会
「鏡と幽香」
Manami ITO EXHIBITION
会期:
2025年5月17日土曜日
〜
2025 年6月22日日曜日
協力:
伊藤学美は一貫して樹木を主題とした風景をモノクロームの画面の中に転写してきた。直接に版を刻むドライポイントという技法は常に滲みの効果を伴うが、伊藤はそれを光のきらめきへと転じる。水面や木漏れ日、伊藤がしばしば用いるモティーフが印象派の画家たちによっても好まれた点は留意されてよい。そこに降り注ぐのは太陽の光であり、きらめきを感じるのは私たちの視覚である。つまりそれは野外の、人が眼差しを向けた風景なのだ。印象派の画家たちが光彩陸離たる豊かな色彩の中に風景を浮かび上がらせるのに対して、モノクロームの画面の中に光を封入した点に伊藤の版画の大きな魅力が存している。
構図に関してはどうか。今、水面と木漏れ日という言葉を用いたが、それらが水平と垂直という軸性と深く関わっていることは容易に理解されよう。多くの場合、伊藤の絵画は上から見下ろした水平の面、もしくは立ちはだかるかのような樹木が暗示する垂直の軸のいずれかの方向性を有している。モノクロームのイメージがたやすく風景へと転じる理由はこれらの軸性と関係があり、いずれも風景の前に私たちが立っていることを暗示する。
さて、風景という言葉を何度も用いたが、私は風景こそ戦後アメリカ美術を通底する隠された主題であると考える。この問題についてここで詳述する余地はないが、私の考えでは風景が成立するために二つの要件が必要とされる。一つはその前に人が立つことであり、もう一つは時間の持続的な経過の中で体験されることだ。(*)今述べてきたとおり、伊藤の版画は技法と構図において人が向かい合うことを前提としている。それでは時間についてはどうか。この点に関しても新作では興味深い試みがなされている。再び印象派を参照しよう。例えばモネの連作。睡蓮でも積み藁でもよい、そこでは移り変わる陽光の中で対象の時間的な変化が捉えられていた。風景とは永遠の変化の相なのである。今回、伊藤はゴースト刷りを導入した。ゴースト刷りとは本刷りの後、版に残ったインクのみで刷る技法であり、繰り返すにつれてイメージは薄れていく。反復されながら時が経つにつれて減衰していくイメージ、伊藤はそれに幽香という言葉を与えている。あるいは作品のタイトルに用いられるエコー(木霊)もまた反復されつつ次第に消えていくことによって伊藤の作品に似つかわしい。ところでエコーとはギリシャ神話に登場するニンフ(妖精)の名でもある。この時、さらに文学的な連想を重ねることができよう。今回の個展のタイトルにおいて「幽香」と対比される「鏡」から連想されるもう一人のギリシャ神話の人物は水面に映った自分の姿に恋するあまり最後は衰弱して死んでしまうナルキッソスである。興味深いことには、プッサンをはじめ、ナルキッソスを描いた絵画の中にはしばしばその傍らに、彼に恋焦がれるエコーの姿も描き込まれている。ナルキッソスもまたイメージの反復、あるいは衰弱と関係があり、伊藤の版画に召喚されるにまことにふさわしいキャラクターなのである。
さらに作品の外部、アート格納庫Mの室内へと目を転じよう。そこではまさにナルキッソスを映し出す鏡面のごとく原口典之のオイルプールの表面が私たちを見返しているではないか。伊藤が新作に垂直性を暗示するForestというタイトルを冠したことには、かかる水平性に拮抗することによって作品に力を与えようとする暗黙の意志が感じられる。木々の中で木霊するイメージ、作品を映し出すオイルプール。エコーとナルキッソス、「鏡と幽香」とはまさにこの会場で発表されるために制作された作品なのである。
(おさき・しんいちろう 鳥取県立美術館館長)
(*)この点については以下を参照されたい。 尾﨑信一郎「風景としての美術」
辻成史編『はるかなる「時」のかなたに 風景論の新たな試み』三元社 2023年
伊藤学美の新作
伊藤学美 Manami ITO
1987年鳥取県倉吉市出身。2011年京都市立芸術大学卒業、同年アールト大 学( フィンランド)交換留学、2013年京都市立芸 術大学大学院を修了。銅版画のドライポイント技法を用いて制作している。主 な個展に「floating」広島市立大学芸術資料館 (広島/2024)、「 surface echo」京 都アートゾーン神楽岡(京都/2022)、「 IN WHITE」ギャラリー恵風(京都/2019)、 「Transcending photography」クリフォードチャンス法律事務所(ロンドン/2017)、「 Tra riflessi e trasparenze nel mondo di I」ギャラリー74/b(ミラノ/2016)など。主 な展覧会に「ART OF THE REALアート・オブ・ザ・リアル時代を超え る美術―若冲からウォーホル、リヒターへ―」鳥取県立美術館(鳥取/2025)、「 レジデント作家二人展+汽水域」金沢21世紀 美術館(石川/2023)など
アート格納庫Mでは、第6回企画展として、倉吉出身の作家伊藤学美展覧会「鏡と幽香」(かがみとゆうこう)を開催します。現在、鳥取県立美術館で開催中の開館記念展に作品が展示されている伊藤は、銅版画のドライポイント技法を用いて、松・水鏡・森などの風景をモノクロームのイメージとして転写し、独自の映像性と偶然性を孕んだ新たなイメージを表出してきました。今回はゴース刷りという本刷りの後に版に残ったインクのみで刷る技法を用いた新作も展示します。地元での初の個展です。
【 オープニングトーク】
伊藤学美×尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)
2025.5.17(土)15時半-17時
※予約は必要ありませんが入館料が必要です。
伊藤学美×尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)
2025.5.17(土)15時半-17時
※予約は必要ありませんが入館料が必要です。